【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

★鎌倉時代の藤原俊成・定家を祖とする歌道の宗家、現存する唯一の公家住宅として重要文化財に指定されている冷泉家では公家文化を伝える七夕行事・星祭「乞巧奠」(きっこうてん)が陰暦七月七日にあたる八月二十一日の夜、冷泉家住宅(重文)で古式にのっとり優雅に行われた。
灯火がほのかに揺らめくなか、王朝装束に身を包んだ男女が、一年に一度だけ逢うという牽牛と織女星にお供え物をして雅楽と和歌を手向けて歌道や技芸の上達を祈った。
冷泉家住宅は襖や障子を取り払い、庭に設けた祭壇五色の布や秋の七草、野菜、魚などを供えた「星の座」という祭壇を縁側にしつらえ、座敷を会場に招待客約百六十人の見守るなか、雅楽の演奏が始まり灯台に火を灯し、狩衣姿の男性と袿袴姿の女性が、「七夕庭」(しっせきのにわ)の兼題の和歌から九首を選び、星の座に向けて独特の声調で詠み上げた。
歌会「流れの座」では、男女五人づつの歌人が冷泉流の歌の朗読で、即興で詠んだ恋の歌を天の川に見立てた白布をはさんで、互いに贈答しあう当座式などが行われます。 ※非公開です。
★京の六地蔵めぐり


市内の六ヶ所のお地蔵さんを巡り、授与されたお幡(おはた)を入り口に吊るして家内安全、無病息災をお願いする、八〇〇年も続いている伝統行事です。
また、お地蔵さんのある所は、それぞれ昔の街道の入り口にあたります。
一一五七(保元二)年、後白河天皇の勅命を受けた平清盛が街道の入り口に六地蔵を分置してから、庶民が六地蔵を巡拝するようになったといいます。
京の六地蔵尊像は人皇五十五代、文徳天皇に仕える参議左大辮、従三位小野篁(たかむら)の作と伝えられ、七十七代、後白河天皇は深くこの六地蔵をご信仰になり、宝祚長久、王城守護、厄病退散を祈願し、また都を従来する旅人たちの路上の安全を願い、また広く一般庶民に二世福楽の利益結縁の御心から、保元二年、平清盛に勅令し、清盛は西光法師に命じて都街道の入り口六ヶ所に六角堂を建てて、一体づつ御尊像を分置された。これにより京の宗教行事として広く庶民に親しまれ、その起源となるのが八百余年の伝統をもつ京の六地蔵めぐりの風習が起こったと伝えられている。
鞍馬街道:鞍馬口地蔵 (上善寺)・周山街道:常磐地蔵(源光寺)・丹波、山陰街道:桂地蔵(地蔵寺)・西国街道:鳥羽地蔵(浄禅寺)・東海道:山科地蔵(徳林庵)・奈良街道:伏見六地蔵(大善寺)
それぞれの寺で頂く六色のお幡は御守りとして家の入り口に吊し、一年中の厄病退散、福徳招来の護符とする。
例年八月二十二・二十三日の両日にはこの六カ所を巡り、罪障消滅・家運繁栄などを祈願するならわしがあり、また新亡の初盆には水塔婆供養し、三年間巡拝すれば六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の苦を免れると言われる。
* 同じ日浄福寺では上鳥羽六斎念仏、地蔵寺では桂六斎念仏、上善寺では小山郷六斎念仏が奉納され、六地蔵めぐりと両方楽しめる。


※ 夏の終わり、京都の風物詩、京の町々で子供を中心に賑わう地蔵盆が盛んに行われるのも六地蔵信仰に起因します。
★左京区・久多に伝わる風流灯籠踊り「久多花笠踊り」が八月二十四日に近い日曜日(今年は二十二日)に行われる。
洛北とはいえ、京都市内から車で一時間半はかかる久多。しかしそれだけに古い伝統や行事が今でも残っており、毎年八月十四日に盆行事の施餓鬼を終えてから花宿と呼ばれる家で極めて精巧な花笠を制作する。
当日は、花宿の床に、志古淵社、上の宮社、大川社の軸を掲げて灯りを花笠灯籠に移し、太鼓や鐘に合わせて踊る五穀豊穰のお祭り。
三つの神社を巡りながら心静かに踊りを奉納する。
灯籠が点じられると、闇に静かに浮かびあがり、大変美しいものです。

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