【祇 園 祭 シ リ ー ズ】
★山鉾巡行で綾傘鉾の先頭を歩く稚児六人の「社参の儀」が七月七日、八坂神社であり、巡行の無事を祈った。
六人は、町内の子どもとして受け入れる儀式の「結納の儀」を済ませ、金色の烏帽子と華やかな狩衣姿の稚児が保護者に連れられ、朱の傘を差されて八坂神社の南楼門から入り、本殿に上がった。玉串を奉納し、宮司から「神の役」を務めることを認める「祇園祭神役之事」と書かれた「宣状」を順番に受け取り、正式な稚児と認められた。
続いて「お千度の儀」では、本殿の周囲を歩いて三周回り、正面と背面で手を合わせ、巡行本番の安全を祈った。
★祇園祭の橋弁慶山は、二〇〇年ぶりに復元新調した胴掛、葵祭の祭列がつづれ織りの精巧な仕立てで絵画のようによみがえった「加茂葵祭行列図」の左面を公開した。
もとの胴掛は円山派絵師の原画と伝わり、一八〇九(文化六)年に制作された。
長年の使用で色落ちや糸の損傷が著しかったため、一昨年から復元新調に取り掛かっていた。
胴掛の左面は縦一.四メートル、横三メートル。葵祭で勅使や風流傘など一行が都を練る様子をつづれ織りで表現されている。費用は一九五〇万円。
残る右面は現在作業中で、両面が揃う二〇一一年に山鉾巡行で披露される。
今年は橋弁慶山町会所で飾られる。
祇園祭短章
日本三大祭の一つ、祇園祭の起源は一一〇〇年以上前にさかのぼり、疫病退散を祈願して当時の国の数に当たる六十六本の矛(ほこ)を立てたことに由来し、平安時代中期から毎年、祭が行われている。
応仁の乱と昭和の戦時中に一時、巡行は中止されたが、町衆の力で祭は受け継がれた。
巡行する三十二基の鉾や山を飾る染織品など懸装品にはヨーロッパなどから伝来したものも多く、国の重要文化財に指定された品も多い。
正に山鉾行事は京都が誇る「動く美術館」とも言われる。
【祇 園 祭 シ リ ー ズ】
★祇園祭の雰囲気が高まるこの時期に、祗園の芸舞妓約百人が夏場の健康と芸事の上達を祈願する恒例の「お千度」を七月七日、祗園・八坂神社で行われた。
京舞井上流の門下生らが新調したそろいの浴衣姿で勢揃いし、境内は華やいだ夏の風情に包まれた。
京舞井上流のお弟子さんたちは家元の井上八千代さんに「おはようさんどす」と挨拶を交わしたあと、本殿の周囲を静かに歩いて願をかけた後、本殿神職からお祓いを受けた。
今年の浴衣は、白地にあい色のナスをちらした愛らしい、いかにも涼しげなデザインの新調した揃いの浴衣姿で参拝し、境内を華やいだ雰囲気に包んだ。
居合わせた観光客らや大勢の写真愛好家たちは、京情緒が漂う光景に参拝姿をカメラに収めていた。
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 
★「七夕」の七月七日、平安時代に蹴鞠を大成した公家・飛鳥井家が守護神として「球技や技芸の神様」として知られる精大明神を祀る上京区・白峯神宮で、恒例の「精大明神例祭」が催され、境内では蹴鞠保存会による蹴鞠奉納と「織り姫」「彦星」役の他、地元の五歳から十二歳までの女児十七人が、元禄時代の鮮やかな衣装に身を包んでおしろいに紅を差し、太鼓を打ち鳴らし、短冊で飾ったササの周囲を音頭に合わせて優美な七夕小町踊「織姫舞」を奉納する。
小町踊りは、公家が七夕の日に詠んだ歌を御所に届ける文使の共が、道中で舞った踊りが始まりとされる。同神宮では元禄時代の衣装を復元し、一九六二年から毎年この日に披露される。 
§蹴鞠について§
日清戦争の際、広島の大本営で京都在住の公家が明治天皇に蹴鞠を披露した。その後、天皇から蹴鞠を保存せよとの御下賜があり、明治三十六(一九〇三)年に蹴鞠保存会が出来た(今年で創立百六年目)。
雅な王朝風の遊戯であり、サッカーの元祖とも言われる。
蹴鞠の歴史は、約千四百年前に中国から仏教とともに日本に伝わった。
鎌倉時代には後鳥羽天皇のバックアップもあり、「蹴鞠道」として出来上がった。
公家は「歌鞠両道」といって、和歌と共に蹴鞠は必要条件だった。
蹴鞠は勝ち負けがないのが特徴で、使うのは右足だけで、ひざを曲げず、靴を地面に擦るようにして蹴る。鞠を受けたら三回目に上半身は動かさずに相手に渡すのが基本。
蹴鞠の際の掛け声「アリ」・「ヤウ」・「オウ」の意味は神様の名前を呼んで応援を請うている。アリは夏安林、ヤウは春陽花、オウは秋園。鞠の製法は裏返しにした二枚の鹿皮を、馬の背皮で縫い合わせている。
蹴鞠を行う庭は約十五メートル四方の大きさで、四隅に掛かり木があり、神様が宿っているとされ、鞠庭に入るのは、神仏に祈るような心境。装束にも特色があり、装束や烏帽子は位によって色や形が違う。袴は張りがある葛で作られる。鞠靴は革の靴と足袋をくっつけ形で、脱げにくい。
「逸 話」... 蹴鞠で脱げた中大兄王子の靴を藤原鎌足が拾ったことで二人が接近し、六四五年の大化の改新につながったと言われる。
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【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 
★京の奥座敷・洛北貴船の貴船神社は生活に欠かすことの出来ない水を司る神社として、水商売をはじめ、酒屋・風呂屋・傘屋・染色業・農業の人など、水のおかげで生活できる人々の信心を集め、又船員や船旅に出る人が、お参りに行きます。
平安朝の昔には、朝廷の勅使が雨乞いのときには黒馬を、止雨のときには白馬を神前に奉納して祈願したといわている。
現在も三月九日に行われる雨乞祭にそのなごりがしのばれる。
七月七日には京都の年中行事として有名な「貴船の水まつり」が毎年盛大に行われます。この祭りは水徳をたたえ一年の水の恵みに感謝をこめて祈願するものです。
神事の他、裏千家による献茶・烏帽子姿の生間流家元による式包丁があり、古式にのっとった鯛、鯉の料理が披露され、藤森神社鳴鳳雅楽会の雅楽雅楽奉納が行われます。
全国から水関係の信者が毎年多数参拝されているようです。
八月九日までは、貴船一帯日没から午後八時まで「七夕ササ飾りのライトアップ」が行われる。(土・日・祝日は午後九時まで)
青竹の筒に入れられたろうそくの光が、優しく足元を照らします。 
★また、山峡の風情を味わう「貴船川納涼川床料理」で自然の涼しさいっぱいの京の別天地へお越しになっては如何でしょう。
残暑の厳しい京都、九月中旬頃までは賑わいます。十六軒の料理屋さんが貴船川に沿って立ち並んで居ります。どことも川に床を出しての席で情緒と涼しさは抜群です。
その分、料理のわりには値段は少々↑?のようです。 
§ 周辺の見所は §
▲貴船神社は水の神様と共に縁結びの神様としても有名で、男女の縁だけでなく、人と人との縁も結ばれると言われ、子授けなどあらゆる縁結びに霊験あらたかであると伝えられています。
▲下流に蛍岩と呼ばれている大きな岩があり、平安中期の歌人・和泉式部が夫の心が遠のいたのを嘆いて、祈願したときに詠んだ歌の場所です。
▲もともと貴船神社の本社であった今の奥宮の神殿の下には日本三大竜穴の一つ、貴船竜穴(その他 大和の室生竜穴、備前の竜穴)があります。
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
東山区・高台寺は、秀吉公の菩提を弔うため、慶長十一年(一六〇六)正室の北政所によって建立され、北政所は秀吉公の没後、高台寺に移り住みました。
高台寺及びその塔頭寺院は、公家衆、諸大名、文化人等、多くの人が寄り集い、さながら当時の一大サロンであり、文化の中心であったと伝えられています。
今年も高台寺境内にて夜の特別拝観"高台寺・七夕会"が四日・五日と二日間行われます。
参道を超えてすぐの前庭に、高さ三~五メートルのささ二十数本が立てられ、夢や願い事を書いた短冊約四千枚を吊るして飾りつけ日没よりライトアップされる。
★七夕が近づく中、左京区・貴船神社で二〇〇二年に、夜も季節感を演出しようとササ飾りのライトアップが始まった。
今年も一日から、本宮社殿の周りに高さ二メートルほどのササ約四十鉢を並べ、日が落ちるにつれて柔らかな光に包まれたササ飾りが浮かび上がった。
ライトアップは八月九日まで、十九日には「奉納ライブ」があり雅楽や竹笛などの演奏がある。

【祇 園 祭 シ リ ーズ】
祇園祭の山鉾巡行を前に七月三日、船鉾に伝わる二つの神面の無事を確かめる「神面改め」が行われる。
船鉾には、十五世紀半ばの室町時代の作とされる「本面」と、江戸時代に本面に似せて彫られた「写し面」がある。
巡行では、神体の神功皇后に写し面をつけ、本面は当番の役員が携えて鉾に乗る。
毎年、船鉾の神事始め「吉符入り」の日に神面を確認するならわし。
室町時代中期に作られた本面と江戸時代に作られた写し面をそれぞれ木箱から取り出し、古式にのっとり、懐紙を口にくわえ、穏やかな笑みをたたえた神面を前に掲げて披露し、変わりない姿に対面し確認すると再び木箱にしまって祭壇に供えた。
山鉾巡行では、神体・神功皇后像に写し面を付け、本面は役員が持って鉾に上がる。
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】

★京都の夏の風物詩、嵐山の幽玄「京の鵜飼」が七月一日夜から渡月橋上流の大堰川で始まった。
今年で六十回目。午後七時すぎ、夕闇が迫る水面にかがり火が映える中、川開きの神事に続いて、六羽づつ鵜を従えた鵜匠二人がそれぞれ黒装束に腰みの姿で船に乗り、川面へ滑り出した。
かがり火が川面を赤く照らすなか、鵜匠の鮮やかな技、巧みな手綱さばきで鵜が舟の上で魚を吐き出すと、大勢の観客が歓声をあげ、盛んな拍手が送られた。
白い装束の船頭が御簾や灯籠ををつるした見物船の屋形船を操った。
囃子方が船上で奏でる祇園囃子が嵐山鵜飼の幻想をかりたてた。
独特の低い音色でトン・トン・トーン、トン・トン・トーン 船べりを叩く音が谷間に木霊する嵐山の鵜飼は九月十五日まで。 鵜飼乗合い屋形船 一人 千七百円。
七、八月は午後七時と八時、九月は午後六時と七時半に出船する。

【祇 園 祭 シ リ ー ズ】
★祇園祭の山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が毎年七月二日、京都市役所市会議場で門川大作市長の立ち会いで行われる。
三十二の山鉾町の関係者が羽織りはかま姿で集まり、先頭に巡行する長刀鉾など、慣例で巡行順が決まっている「くじ取らず」の八基をのぞく二十四基の代表が順番に壇上に進みくじを引き、立ち会いの市長にくじの紙を見せ、山鉾名と順番を読み上げる。
今から五百年余前の一五〇〇(明応九)年の応仁の乱で一時中断していた祇園祭が、その後三十三年ぶりに復興した際から、巡行の順番争いを避けるために、山鉾三十六基がくじを取って巡行した記録が残っている。
※くじ取らずで常に先頭を行く長刀鉾に続く「山一番」は一昨年に続き、二年ぶりに「芦刈山」が戦後三回目の山一番を引き当てた。
内部の様子は、残念ながら一般公開をしていないので見学はできません。
終了後、全員で八坂神社に向かい、祭礼の無事を祈ります

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§ 七月は祇園祭シリーズとして一ヶ月間順次レポートします §
【祇園祭にちなんで】
七月に入ると京都の街にいよいよ祇園祭の季節が到来します。
七月一日の「吉符入り」で始まり、三十一日の「夏越祓」までの一ヶ月間に二十四の神事があり、その中でも祭り情緒たっぷりの宵山、華麗さと躍動感に魅了される山鉾巡行とさまざまな行事が夏絵巻のごとく繰り広げられていきます。
時代を超えた伝統の輝き、千余年の歴史を有し、日本の祭礼の原点と称せられる祇園祭は山鉾町の町衆たちの努力と熱意によって今日まで受け継がれてきました。
これも祇園祭という京都が世界に誇るべき文化を次代へとつなげていかなければなりません。
【祇 園 祭 シ リ ー ズ】
★京の夏を彩る祇園祭の幕開けとなる長刀鉾稚児の「お千度の儀」が七月一日、八坂神社で営まれる。長刀鉾は山鉾の中で唯一、生稚児が乗って巡行する。
今年新調された黄緑、赤、紫の三色を配した華やかな色合いの稚児の装束は「涼み衣装」と呼ばれ、白塗りで口元に朱を差す化粧を施した稚児衣装に身を包み、八坂神社の本殿に参拝し、祭りの安全と無事を祈り、父親に手を引かれて本殿の周囲を三週、お千度に臨んだ。
多くの山鉾町でも神事始めの「吉符入り」(一日~五日)を迎え、祭壇前で神職からお祓いを受け、一ヶ月に及ぶ祭りがスタートする。
★祇園祭の鉾町の会所では夕方から「二階囃子」が始まり、「コンチキチン」の音色が界隈に響き、初夏の祭を実感させた。
二階囃子は、山鉾巡行の本番に向けた祇園囃子の練習。吉符入りの一日以降に始まる。
浴衣を着た囃子方のメンバー数十人近くが勢揃いし、一年ぶりに鉦、太鼓、笛を鳴らし、初心者の小学生には先輩が寄り添い、手を取って鉦を教えている姿は伝統を感じる。
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】 
★北区・上賀茂神社で七月一日、「御戸代会神事」が営まれる。
御戸代(みとしろ)とは神に献上する稲を栽培する神田のことで、田植えが終了し田の害虫を駆除し、五穀豊穣を祈願する。
天平勝宝二年(七五〇)に朝廷・孝謙天皇が御戸代田一町の田畑を神社に寄進したのを記念し、農家をねぎらって田楽や猿楽を奉納したのが起こりと伝えられる。
これが日本能楽の先駆となったとされています。
賀茂御戸代能と呼ばれる観世流による神歌・能・仕舞や茂山家の狂言の奉納がある。
【今日の情報 : 歳時記・催し・話題・出来事】
★半年間の厄と汚れをはらい、残り半年を無事に過ごせるようにと息災を祈る「夏越の祓い」(水無月祓)が六月三十日、京都市内の各神社で行われる。
主な神社としては、上賀茂神社・吉田神社・建勲神社・白峯神社・地主神社・貴船神社
・城南宮・車折神社・梅宮神社・御香宮神社・護王神社・北野天満宮などでは、一年間の折り返しにあたるこの日、大きな「茅の輪」を社頭に飾り、その茅の輪をくぐると無病息災・悪厄退散になると伝えられ多彩な催しを行う。
神社に伝わる和歌を唱しながら茅の輪くぐりや交通安全祈願のため、車を通り抜けさせる直径五メートルのジャンボ茅の輪を設置したり、境内の小川で人形流しや人形を浄火で焼くお焚き上げなど、又和菓子の「水無月」を無料でふるまう神社もある。

★京都では六月三十日に和菓子「みな月」を食べる習慣がある。
昔、天然の氷雪を氷室に蓄え、六月三十日にその氷を宮中に献上していた。
一般には夏季に氷を得ることがかなわず、形を氷になぞらえて麦粉で作っていたが、徳川時代中期に至り小豆を混え三角に切り、現在の形となった。
悪疫を防ぎ、災難をも除くためとし、広く洛の内外に用いられたもので、「みな月」は京都独特の名物である所以でもある。最近では三角を基幹として色んな形が出てきた。 
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